core3 自己変革MS誕生秘話

Core3:自己変革マネジメントシステム(MS)誕生秘話

弊社の最も特徴的で効果の高いメソッドが「Core3:自己変革MS」です。 これは、組織・経営者・経営陣に本当に正しくインストールできれば、改善できない問題や組織はないのではないかと思うくらいに役立つメソッドと実感しています。そうしたメソッドなので「わたくし笠原が開発した!」と言いたいのですが、実はそうではありません。

【きっかけとなった、川上哲治先生のご著書】

「自己変革」は、人生の大先輩と言える方々が提唱し、伝えられてきた、ある意味普遍の考え方なのだと思います。私が初めてその考え方に出会ったのは、今から30年以上前、プロ野球の読売巨人軍の名監督(不滅のV9を成し遂げた監督)川上哲治先生の書籍を読んだ時でした。その中に、限界突破の核心は「変わること」という文章に惹かれ、その後、川上哲治先生の書籍を読みあさりました。  

当時、むさぼり読んだ川上哲治先生の御著書
私が「自己変革」という思考に出会った最初の書

 

【自己変革思考との最初の出会い】

川上哲治先生の考え方の源は岐阜県美濃加茂市にある、悟りを求める修行僧の専門道場「正眼寺」の老師(悟りを開いた最高指導者とされる方)梶浦逸外先生の教えであることが分かりました。 今度は梶浦逸外先生の本を読みあさります。読んだ本は2冊ぐらいだったと思いますが、むさぼるように読んだのを覚えています。御著書自体は、その後、大学で大変お世話になった恩師に差し上げてしまい、今は手元にありません。そこには、以下のような趣旨の内容が書いてあったと記憶しています。 「目標に向かって、努力し続け、やって、やって、やり抜いて、そして到達する。それはまだ甘い。やって、やって、やり抜いて、すべてやり切ったと思っても乗り越えられない。そこからが始まりだ」「どんなに努力しても越えられない。そこからどうするか。変わるのだ」「窮して変じ、変じて通ず」 この言葉に出会った時、「これだ!」と思ってしまったのです。「今の自分では全然だめだ。何ものにもなれない。真の目的・目標を達成などできない。自分も、川上哲治先生のように修行をしたい!」そう思って、正眼寺の電話番号を探し当て、電話をしました。「修行したいのです」・・・即答でNO。確か次のような内容でした「どこの馬の骨ともわからないものを受け入れるわけにはいきませんよね・・・」淡々と、嫌みも感じず、でも「完璧なお断り」でした。当時自分はかなり気合も入っていて、「やるぞ」と思ったらとことんやるタイプだったと思うのですが、この時は瞬間に「ここには本当に行けないんだ」と直感した感覚を今でも思い出します。この電話の直後、号泣しその場に倒れるように寝てしまいました。夏休みのある日のことでした。  

自己変革MSの大本になった梶浦逸外先生のご著書

 

【自己変革の修行を求めて】

その後の記憶ははっきりしませんが、何日か後に旅に出ます。青春18きっぷで京都に来ていました。そして、有名な「一休さん」がいたという「大徳寺」に向かいました。そして、大徳寺の中の寺院、瑞峰院の前田昌通住職に面談いただきます。そして、上記の経緯、修行がしたいこと、自分の気持ちを聞いていただきました。ちょうどその日、大徳寺ではNHKが入っていて、「YOU」という若者向けの番組収録という事で私の様子もビデオカメラに収められました。 そして、前田昌通住職から、川崎の優秀な禅僧という方をご紹介いただきます。そこで修行させて頂ける手配までいただき、川崎に向かいます。そこで、面談となったのですが、ここではっきりとセンサーが響きます「違う。ここじゃない。(大変失礼ですが)こんなことを学び、求めているのではない」そこで、率直にお話しすると、その禅師がすごい人をご紹介くださいました。  

【平林寺 柳瀬有禅老師】

それは、西の正眼寺(梶浦逸外先生のプロ修行僧の専門道場)、東の平林寺と言われる、埼玉県の平林寺の最高指導者であられた、柳瀬有禅老師をご紹介くださいました。柳瀬有禅先生は、この時すでに平林寺のおつとめを終えられ、埼玉県都幾川村(明覚)に先生独自で、一般の人でも修行できる禅道場を開いていらっしゃいました。「法灯禅林」と掲げられていました。 柳瀬先生はすごい人でした。というか、そう思いました。あまりにすごい人は、普通に見えて何がすごいのかよくわかりませんでした。しかし、川崎で感じた「ここじゃない!」という感覚は全くなく、むしろ体の細胞が「ここだ。ここが自分にとって必要な場所だ」と騒いでいるようでした。自然に吸い込まれるように、柳瀬先生の禅堂に住み込みの形で、そこからしばらく大学に通う生活が続きました。そこでは、住み込み状態の人は私一人でしたが、土日祝日になると、大企業、研究機関、各界から、様々な人が瞑想や座禅をするために来ていました。  

【自分の方向性の発見】

そして、何か月か経った時に、自分に変化の時が訪れます。そういう時には、以心伝心するのか、ドンピシャのタイミングで柳瀬先生が「この先どうするか決まりましたか」とお尋ねになります。そして「正眼寺でもどこでも、紹介状を書きますよ」と、おっしゃってくださいました。 私は答えました「はい、私は山を下ります。大学に戻り、願いを果たしたいと思います」。柳瀬先生は「それでよいと思います」と、あらかじめ用意しておられた御本(加藤耕山老師についての随聞記)をお渡しくださいました。「これを持っていきなさい。この人は、偉大な禅僧でした」と言って、その本に、柳瀬先生直筆で“不倒王”の文字を入れてくださいました。加藤耕山老師は、悟りを開き、禅の世界で、「最後の禅僧」と言われた偉大な方だそうです。その方の生き方は、山奥で一人悟りを開いて・・・ではなく、一般人の中に入って、多くに人の役に立ってこそ・・・という、悟りを開いて偉くなるのではなく、一般の人々の中に、偉い人ではなく、ただの人として関わり尽くす。そうした生き方をした人という事でした。 もちろん、私は加藤耕山老師の様な、悟りのさの字もなく、全く比較対象になり得ませんが、このご著書を読んだ時に「そうだ、自分も、多くの人と関わる中で、何かをなすのだ」と心に響いたことを思い出します。  

柳瀬有禅老師から頂いた、加藤耕山老師の生涯を描いた「座禅に生きる」のご著書
柳瀬有禅老師から直筆で頂いた「不倒王」の文字

 

【実践プログラムの欠如・・・そして出会い】

こうして、川上哲治先生、梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生から学ばせていただくことで、「自己変革メソッド」の思想、思考の土台が完成します。そして、意気揚々と「自己変革」を根底にした、「改善」「創造」の活動(コンサル)を始めますが、うまくいくこともあれば、全然うまくいかないこともある。そのうちに理由がはっきりします。自己変革のための考え方、理論、思考は分かったが、人、クライアントが確実に変わる、実践プログラムは確立していない。だから、思考がマッチするクライアントには比較的成果が出ても、そうでない人、クライアントには成果が出ない。ということでした。 様々なコンサルティング、改善業務、災害支援事業、NPO活動などをしながら、「より高精度の自己変革メソッドの開発を」と模索する中で出会ったのが、自己変革分野での4人目の師と言える高橋佳子先生でした。高橋先生のすごいところは、私が出会った先生方の中で、唯一、実践プログラムを全て完成させていたスーパーコンサルと言えるような先生でした。高橋先生も、本職は梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生と同様に宗教家でありながら、前述のように、スーパーコンサルのような方です。政治、官僚、科学者、医療、教育、私たちのようなコンサル、弁護士、会計士等の士業、スポーツ、芸術など、各界のプロフェッショナル達が学びに来ていました。  

私が知る限り、現存される最高の「自己変革理論&実践プログラム」の体現者と思われる高橋佳子先生のご著書

  2015年10月に発足した第3次安倍晋三改造内閣の目玉プランとして「一億総活躍社会」が宣言されました。著書「1億総自己ベストの時代」はその2年前に発刊され、多くの政治家が超党派で高橋先生の講演、セミナーに参加され学習されました。その中での学びが、「すべての国民が活躍できる社会づくり」というプラン作りの参考にされたようです。 梶浦先生、柳瀬先生、高橋先生に代表される、宗教家の世界で連綿と受け継がれてきたかのように見える、自己変革という思考とその実践手法。これは、人類共通の「実践哲学」「真の意味での成功哲学」のcoreになる思考でもあると実感しています。そして、人はそれぞれ、他人には分からない、いきさつの中で生きています。幸せな人も、苦しみの中にいる人も、本当に様々です。そして、全ての人は、発展途上です。ゆえに壁にも突き当たります。 梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生、高橋佳子先生のご著書から学んだことは「様々な課題を抱え壁に突き当たっている人はもちろん、どのような優れた成功者であっても、人はまだまだ未熟者であり、目標の途上である」。その状態から「自分がさらに変わることができれば、今は想像もできない未来が開かれる可能性を誰もが秘めている」「そして、人は変わることができる」ということです。 私の願いは、「変わりたい」と思う人々を支えたい。そして、まだ見ぬ「このために生まれてきた」「この人生でよかった」「この事業活動でよかった」という未来を一緒に開く同伴者・対話者になりたい。それが弊社のコンサルティングの切なる願いです。 弊社は、この「自己変革メソッド」を土台・根底に、人・組織・世界の困難を1ミリでも希望、願い、志の次元に運ぶために、願う未来を実現するために、ほんのわずかでも貢献出来たら幸せです。