会社概要

About us

弊社が組織の改善、課題解決、創造において最も重要と考えるスキルを「Core3(コアスリー)」と呼んでいます。

Core3 [Vision ・自己変革MS ・チームデザイン] を基盤とした、総合改善(マネジメント、マーケティング、ビジネスモデル創造、経営財務)をクライアントの状況に適宜組み合せ、導入いたします。

社名:株式会社いなほコンサルティング


代表取締役:笠原秀紀


設立:2015年3月23日


所在地: 〒194-0212 東京都町田市小山町4089-1


電話:042-774-4724


FAX:042-774-4725


[事業内容]

◆Core3をベースとした総合経営改善
◆研修・セミナー
◆その他の専門分野コンサルティング
1.事業承継
2.BCP/M
3.RoHS/REACH
4.環境経営
5.SDGs
6.資金調達、助成金獲得支援

※専門分野コンサルティングもCore3の発想を導入します。

Profile

代表プロフィール

笠原秀紀

株式会社いなほコンサルティング

代表取締役
笠原 秀紀
Kasahara Hidenori

  • 地域活性化伝道師(内閣府)
  • 産業能率大学 総合研究所 兼任講師
  • 中小企業基盤整備機構・中小企業大学校・講師
  • 都内金融機関 企業経営改善専門家
  • 民間コンサルティングファーム・シニアコンサルタント
  • 環境系投資ファンド パートナーコンサルタント
    [資格]

  • 中小企業診断士
  • 事業再生マネージャー(TAM:ターンアラウンドマネージャー)
  • 環境認証エコステージ評価員
  • 都内金融機関 企業経営改善専門家
  • 第一種衛生管理者

Story

起業動機・ストーリー

大学在学中より、大手企業、理化学研究所などの開発・研究案件に従事し、大学卒業と同時に、技術系コンサルタントとして独立。

「フロンガス回収事業の立上げ、全国展開」

オゾン層を守れ!

成層圏オゾン破壊の問題:地表から10kmから50Kmくらいのところにオゾン層があり、地球に住む人や生命を太陽からくる有害紫外線から守っている。20世紀終盤に、そのオゾン層が破壊され、その影響で、皮膚がん、白内障などの被害や動植物への被害増加が指摘された。その重要な原因物質がフロンガスである。フロンガスは冷蔵庫やエアコンに活用され、それらが廃棄され、破壊されたときに大気放出され、オゾン層に到達・破壊する。という問題があった。
1993年、群馬県高崎市で、ある教授の講演を聞いた。内容は、「オゾン層破壊が進み、未来の子供たちの生活が危ない。フロンガス回収が全く進まず、日本では野放し、SOS」というものだった。

願い、Vision

…このままでは、未来の子どもたち、地球の生命が危ない、フロン回収の動きを立ち上げる!~美しい地球を子供たちに~という想いが湧き上がり、そのVisionの元、動き出した。その時、同じ会場で講演を聞いていたのが山田和尚。後の私の事業活動の師匠になる人である。

師匠と全国行脚開始!

•山田和尚とプロジェクト・キャラバン隊結成・活動開始、山田と二手に分かれ、「無料で講演、フロン回収実演、プロモーション」で全国を回った。

•当時、フロン回収機はあったが、フロン回収率が非常に悪いなど、技術的な課題が多々あった。それらの課題を解消するために、フロンガスを高効率で、誰でも簡単に回収できる革新的回収機を開発し、全国行脚(プロモーション)を続けた。
•毎日のように講演活動を続け、都度メディアで情報発信していたが、「そんな話聞いたことない」「うそつきだろ」…見向きもされない日々が続いた…。それでも、数か月、淡々と全国を歩いていると、少しずつではあるが、私たちのVisionに共鳴してくれる人々もちらほらと現れ始めた。

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初の事業成立

•活動を初めて半年くらいたった頃、愛知県安城市で初の事業化にこぎつけた。その地から、改めて全国に向けて、オゾン層保護、フロンガス回収のVisionをメディア(新聞、TV)で発信すると、ほかの地域からも声がかかり、それまでVisionに共鳴してくれた仲間たちと協働する中で、短期間のうちに数十カ所で事業が立ち上がった。

•事業モデルは、私たちが全て事業をしてしまうのではなく、各地域ごと(市町村をベース)にフロンガス回収に興味を持つ人を募集・選定、彼らに私たちのノウハウと、フロンガス回収機販売の権利を付与し、各地域の事業者が収益を上げられる仕組みを作った。
•そして、各地の志ある仲間たちがフロン回収、オゾン層保護の伝道師になる流れを作り、全国に展開するという戦略をとった。
•この動きが成功し、movementが起き、全国に相当数の事業が立ち上がると同時に、通産省関係者から声がかかった。

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Visionの威力

•活動の最初に僕らにあったのは、Visionだけ。僕らは完全な素人集団だった。専門性も知識もノウハウも何もなかった。
•Visionだけが多くの仲間たちとの心・意志・信頼をつなぎ、活動のエンジンになった。そして、Visionが連帯して日本を巻き込むmovementを創る、という現象をまざまざと見せてもらった。

•今思い起こすと、この時に、自分の活動の原点のDNAが目覚めたのかもしれない。ことを起こし、成し遂げるために必要なものは、知識、ノウハウではなく、「想い、願い、Vision」さえあればよいのだ。ということを、理屈ではなく、身体の奥底の細胞が体感し、それがその後の思考・活動の基、エンジンになった気がする。
•のちに発生する阪神淡路大震災、重油回収、ダイオキシン問題解決…それらの改善活動もすべて、スタートは素人からだった。
•そして、師匠の山田が口にした「半年あれば、現場を助け、人を助けられる本当のプロになれる」…。知識、ノウハウはあればあった方が良いかもしれないけれども、一番大事なものではない。私の活動の原点の思想・DNAのように織り込まれたというか目覚めた基となったのがフロン回収事業だった。

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JICOPと連携

•通産省外郭団体(オゾン層保護対策産業協議会:JICOP)と連携することになり、JICOPの協力のおかげで、全国の自治体に呼び掛け、集客いただき、一気に全国展開が進んだ。

•1年半くらい後には、全国1000カ所以上で事業が立ち上がり、JICOPや全国の仲間たちの協力のおかげで、多くの人材も発掘でき、全国3300の自治体ごとの事業化のめどが確信できた段階で、事業の主体を後進へとバトンタッチ。
•僕らは次のフェーズに移った。

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産業界に事業展開

•自動車業界、冷凍・空調設備業界など、民間にも事業化を推進し、自動車業界は、主力大手では、全国のディーラーへの事業展開・フロン回収システム整備が進められた。

•冷凍・空調設備業界には、3000社以上を束ねる大きな協会に対して、新たにフロンガス回収事業を立ち上げ、フロンガス回収技術者の新資格制度の構築、資格制度初代講師を私、笠原が務めさせていただいた。
•その後、本事業はいくつかの業界の収益事業に育っていった。

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「空中分解したプロジェクト」

転落の始まり

•フロン回収の全国システム事業化後、僕は新たな仲間たちと、新しい事業に取り掛かった。フロン回収だけではなく、フロンガスの生産・販売から使用、回収、分解無害化までの全工程の最適化管理を目指し、チームを組み新事業に臨んだ。

•実は、このプロジェクトは大失敗に終わるが、この時は、全国にフロン回収システムの土台を創り上げた後で、イケイケで成功Visionしか見えなかった。フロン回収から無害化までのジャパンモデル構築Visionの成功しか頭になかったのだ。
•「日本発の世界モデルへ、是非成功させよう!!」皆、意気揚々と取り組んでいた。フロン生産から分解無害化までのトータルシステム構築の企画提案に、大手商社・技術を持つ大手製造業・行政機関などが全面賛同。技術、システムもほぼめどがつき、自治体予算も確保できて、あとはその他合意を取り付けて実行、という最終段階まできた。
•ところが、ある日突然、今まで連携していたすべての事業者(大手企業)、関係自治体と連絡が取れなくなった。
•調べていくと、行政機関が難色を示し、私達を名指しで、大手企業、各地方自治体に、「・・・という団体、組織と連絡を取らないように」という連絡が行っていたようだ。
•私たちは全く身動きが取れなくなり、抗議・交渉しようとしたものの、びくとも動かず、結局、プロジェクトは停止し、チームは離散、以後同業界から姿を消すことになった。

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気づき

•2000年、東海地方で豪雨、水害が起きた。水没する大量の車両がTVに映し出された。災害支援に携わっていた私達は、主力部隊は山田和尚を中心に災害支援を行った。

•同時に、使用不能で潰される自動車をみて、カーエアコンに入っているフロン放出がイメージされ、5年前に失敗した、フロンガス回収・無害化の千載一遇のチャンスが来たと思った。
•この時、ふと5年前にプロジェクトが失敗した時のことを思い出した。
•自分たちは「世のため人のためを考えているのに、なぜみんな協力し合わないんだ!」という他人への不満と怒りの中で離散。すべてが他人のせいだった。
•しかしこの時、山田からのアドバイスも受けて、ある気づきに至った。「本当にあの時、自分たちに不足、思い違い、至らなさはなかったのか…」と。あの時「自分たちはすごい!どんなもんだ!世界モデルを創ってやる…」と、自分たち中心、ヒーロー気取りだったのではないか…。
•相手からすると、メンツをつぶされたような、色々な感情が渦巻くのも無理はない。「自分は」「自分が」という自分中心の想い、思考が確かにあった。
•捨てよう…。この想い、思考ではダメだ…と思った。

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手柄は全て渡すー自己変革へ

•企画、提案、技術、プラン構築から実行、できることはすべてやる。しかし、今回は、成果、手柄は全て渡す。
•この時の自分の願い、visionは、「フロン放出を止めて、1ミリでも良い地球環境を実現する」だった。そのもとに行動開始!

•今度は政治家から官庁まで全員が協働メンバ―になった。
•そして、国会質問内容作成(代議士vs環境行政)、改善技術コーディネイト…大企業も協力し、世界初のフロンの分解無害化設備の完成。さらに、5年前のVisionを越えて、フロン法規制、政治・社会を巻き込むmovementへと結実することができた。

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そして、多くの事業に繋がっていったが…

•上記全国事業の成功をご覧になった、当時の高知大学学長、立川涼先生より、DIOXIN対策(1996年~)のJapan model構築のご依頼など、様々な事業に繋がっていった。ここでは、その一部、タイトルだけに留める。
•「ナホトカ号座礁(1997年)と日本海重油回収」「東日本某地域の地域活性化JVの崩壊回避project」「各地自治体支援事業」「BP(海外の重油災害支援)」ほか。など、成功事例が続く…

「絶不調・スランプ時代」

理念は、世のため人のため?

•2002年頃からはじけなくなる。何をやっても結果が出ず、長期スランプに陥った。

•この間、中小企業診断士、事業再生マネージャー、様々な資格を取る。MBA、プロとの連携でのコンサル展開。経営知識は昔より格段に得た。しかし、はじけない…。無心で懸命にやっているつもりなのだが…以前の様な卓越成果は出なかった。
•そしてある時、過去の成功体験を思い出していてふとあることに気付いた。自分は、様々な成功事例を積み上げる中で、いつの間にか「ノウハウとしてビジョンを創れるようになってしまっていた」ということに。
•無意識に、頭の中で「理念は、世のため人のため」的な自動回路が回っている状態になっていたことに気付いた。
•「利他…」「世のため人のため」的なものをビジョンに組み込むことで、美しく正しく、人の心を動かせるビジョンになるという自動回路が回っていたのだ…。しかし、それは、「自分が本気になれないVision」になっていたことに気付いた。大事なのは、「本心」であり、「心境、境地だ」と気付いた。
•心境、境地(本心で思えること)がそうでなければ、いくら立派な理念、ビジョン、価値観を唱えても、内側からの力は湧いてこない…と気付くことができた。

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「ゼロベースへ」

「わかったふり」を捨てよう

•この事業では、「自分は何を果たしたい?」「何としても果たしたい願いは?」と、一つ一つの事業、出会いに対して0から愚直に、初心に帰って自分の心に尋ねる。

•ノウハウではなく⇒心境、境地が大事。「本当に大事なことはノウハウ、知識では得られない」という事が分かった。
•心境・境地を高めるには⇒自らに問いかける⇒この事業・出会い・出来事を前にして、自分は本当に何を果たしたいのだろう…と。瞑想も取り入れるようになった。
•自分は10年以上、「わかったふり」してきたのだ。それが、心も、仕事も思うように動かない状態をつくってきた…ということに気付いた。
•わからない時にわかったふりをして、中途半端にビジョンを立てるのはもうやめよう。
•不思議なことに「わかったふり」をやめてみたら、たくさんの仲間ができた。そして、スランプを超えさせてくれたのも有形無形の仲間の存在だった。

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「Core3(「Vision」「自己変革MS」「チームデザイン」)を軸としよう」

そして、みつけた

•前述のように、2008年から様々な資格を取り、知識としては、経営技術は格段に向上した。しかし、それ以前と比べてはじけるような成功は無くなった。そうした経験の中で実感したことがある。
•経営改善、課題解決、創造…すべてにおいて共通しているものが見えたと思った。知識、スキル、ノウハウはあった方が良い。でも、一番大切なものは他にある。
•まず初めに、「ビジョン、願い(志)を描く」こと…そしてVisionはその後「ブラッシュアップ」され続ける。一度描いて完成、というようなVisionは本物のVisionでも志でも何でもない!
•2つめは「自己変革」…Visionや願いは大事だけれども、それだけでは必勝の戦略にはならない。「自己変革」がとても重要。ものごと、事態を人のせいにせず、自分に引き寄せて、自分事として考えなおす。自分にも問題があったのではないか。他人を変えるのではなく、自分が変わる。組織内で、皆が、問題を誰かのせいにするのではなく、自分の問題として物事を考えることができるようになったら、今よりハッピーな組織にならないか?「自己変革」が出来なければ、フロン無害化システム構築事業は、その5年前のように空中分解したかもしれなかった。
•3つめは「チームデザイン」…一人でなく、Vision、願いを同じくする多くの先輩、仲間たちと一緒に、響き合いながら未来の目的・目標へ向かう。エジソンの思想「一人の天才よりも100人の凡人の方が賢い」。そして、チームデザインは、Visionを共有できるとき、(人を越えて)Visionそのものが連帯し、movementを起こすことができる。チームデザインが機能しなければフロン回収全国システムも、そのほかの事業の成功もあり得なかった。
•そして今、多様なクライアントをCore3(「Vision」「自己変革MS」「チームデザイン」)と専門技術(マネジメント、ビジネスモデル、マーケティング、経営財務)を組み合わせた総合改善メソッドでサポートさせていただいている。

Core3:自己変革マネジメントシステム(MS)誕生秘話

弊社の最も特徴的で効果の高いメソッドが「Core3:自己変革MS」です。
これは、組織・経営者・経営陣に本当に正しくインストールできれば、改善できない問題や組織はないのではないかと思うくらいに役立つメソッドと実感しています。そうしたメソッドなので「わたくし笠原が開発した!」と言いたいのですが、実はそうではありません。

【きっかけとなった、川上哲治先生のご著書】

「自己変革」は、人生の大先輩と言える方々が提唱し、伝えられてきた、ある意味普遍の考え方なのだと思います。私が初めてその考え方に出会ったのは、今から30年以上前、プロ野球の読売巨人軍の名監督(不滅のV9を成し遂げた監督)川上哲治先生の書籍を読んだ時でした。その中に、限界突破の核心は「変わること」という文章に惹かれ、その後、川上哲治先生の書籍を読みあさりました。

 

当時、むさぼり読んだ川上哲治先生の御著書
私が「自己変革」という思考に出会った最初の書

 

【自己変革思考との最初の出会い】

川上哲治先生の考え方の源は岐阜県美濃加茂市にある、悟りを求める修行僧の専門道場「正眼寺」の老師(悟りを開いた最高指導者とされる方)梶浦逸外先生の教えであることが分かりました。
今度は梶浦逸外先生の本を読みあさります。読んだ本は2冊ぐらいだったと思いますが、むさぼるように読んだのを覚えています。御著書自体は、その後、大学で大変お世話になった恩師に差し上げてしまい、今は手元にありません。そこには、以下のような趣旨の内容が書いてあったと記憶しています。
「目標に向かって、努力し続け、やって、やって、やり抜いて、そして到達する。それはまだ甘い。やって、やって、やり抜いて、すべてやり切ったと思っても乗り越えられない。そこからが始まりだ」「どんなに努力しても越えられない。そこからどうするか。変わるのだ」「窮して変じ、変じて通ず」
この言葉に出会った時、「これだ!」と思ってしまったのです。「今の自分では全然だめだ。何ものにもなれない。真の目的・目標を達成などできない。自分も、川上哲治先生のように修行をしたい!」そう思って、正眼寺の電話番号を探し当て、電話をしました。「修行したいのです」・・・即答でNO。確か次のような内容でした「どこの馬の骨ともわからないものを受け入れるわけにはいきませんよね・・・」淡々と、嫌みも感じず、でも「完璧なお断り」でした。当時自分はかなり気合も入っていて、「やるぞ」と思ったらとことんやるタイプだったと思うのですが、この時は瞬間に「ここには本当に行けないんだ」と直感した感覚を今でも思い出します。この電話の直後、号泣しその場に倒れるように寝てしまいました。夏休みのある日のことでした。

 

自己変革MSの大本になった梶浦逸外先生のご著書

 

【自己変革の修行を求めて】

その後の記憶ははっきりしませんが、何日か後に旅に出ます。青春18きっぷで京都に来ていました。そして、有名な「一休さん」がいたという「大徳寺」に向かいました。そして、大徳寺の中の寺院、瑞峰院の前田昌通住職に面談いただきます。そして、上記の経緯、修行がしたいこと、自分の気持ちを聞いていただきました。ちょうどその日、大徳寺ではNHKが入っていて、「YOU」という若者向けの番組収録という事で私の様子もビデオカメラに収められました。
そして、前田昌通住職から、川崎の優秀な禅僧という方をご紹介いただきます。そこで修行させて頂ける手配までいただき、川崎に向かいます。そこで、面談となったのですが、ここではっきりとセンサーが響きます「違う。ここじゃない。(大変失礼ですが)こんなことを学び、求めているのではない」そこで、率直にお話しすると、その禅師がすごい人をご紹介くださいました。

 

【平林寺 柳瀬有禅老師】

それは、西の正眼寺(梶浦逸外先生のプロ修行僧の専門道場)、東の平林寺と言われる、埼玉県の平林寺の最高指導者であられた、柳瀬有禅老師をご紹介くださいました。柳瀬有禅先生は、この時すでに平林寺のおつとめを終えられ、埼玉県都幾川村(明覚)に先生独自で、一般の人でも修行できる禅道場を開いていらっしゃいました。「法灯禅林」と掲げられていました。
柳瀬先生はすごい人でした。というか、そう思いました。あまりにすごい人は、普通に見えて何がすごいのかよくわかりませんでした。しかし、川崎で感じた「ここじゃない!」という感覚は全くなく、むしろ体の細胞が「ここだ。ここが自分にとって必要な場所だ」と騒いでいるようでした。自然に吸い込まれるように、柳瀬先生の禅堂に住み込みの形で、そこからしばらく大学に通う生活が続きました。そこでは、住み込み状態の人は私一人でしたが、土日祝日になると、大企業、研究機関、各界から、様々な人が瞑想や座禅をするために来ていました。

 

【自分の方向性の発見】

そして、何か月か経った時に、自分に変化の時が訪れます。そういう時には、以心伝心するのか、ドンピシャのタイミングで柳瀬先生が「この先どうするか決まりましたか」とお尋ねになります。そして「正眼寺でもどこでも、紹介状を書きますよ」と、おっしゃってくださいました。
私は答えました「はい、私は山を下ります。大学に戻り、願いを果たしたいと思います」。柳瀬先生は「それでよいと思います」と、あらかじめ用意しておられた御本(加藤耕山老師についての随聞記)をお渡しくださいました。「これを持っていきなさい。この人は、偉大な禅僧でした」と言って、その本に、柳瀬先生直筆で“不倒王”の文字を入れてくださいました。加藤耕山老師は、悟りを開き、禅の世界で、「最後の禅僧」と言われた偉大な方だそうです。その方の生き方は、山奥で一人悟りを開いて・・・ではなく、一般人の中に入って、多くに人の役に立ってこそ・・・という、悟りを開いて偉くなるのではなく、一般の人々の中に、偉い人ではなく、ただの人として関わり尽くす。そうした生き方をした人という事でした。
もちろん、私は加藤耕山老師の様な、悟りのさの字もなく、全く比較対象になり得ませんが、このご著書を読んだ時に「そうだ、自分も、多くの人と関わる中で、何かをなすのだ」と心に響いたことを思い出します。

 

柳瀬有禅老師から頂いた、加藤耕山老師の生涯を描いた「座禅に生きる」のご著書
柳瀬有禅老師から直筆で頂いた「不倒王」の文字

 

【実践プログラムの欠如・・・そして出会い】

こうして、川上哲治先生、梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生から学ばせていただくことで、「自己変革メソッド」の思想、思考の土台が完成します。そして、意気揚々と「自己変革」を根底にした、「改善」「創造」の活動(コンサル)を始めますが、うまくいくこともあれば、全然うまくいかないこともある。そのうちに理由がはっきりします。自己変革のための考え方、理論、思考は分かったが、人、クライアントが確実に変わる、実践プログラムは確立していない。だから、思考がマッチするクライアントには比較的成果が出ても、そうでない人、クライアントには成果が出ない。ということでした。

様々なコンサルティング、改善業務、災害支援事業、NPO活動などをしながら、「より高精度の自己変革メソッドの開発を」と模索する中で出会ったのが、自己変革分野での4人目の師と言える高橋佳子先生でした。高橋先生のすごいところは、私が出会った先生方の中で、唯一、実践プログラムを全て完成させていたスーパーコンサルと言えるような先生でした。高橋先生も、本職は梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生と同様に宗教家でありながら、前述のように、スーパーコンサルのような方です。政治、官僚、科学者、医療、教育、私たちのようなコンサル、弁護士、会計士等の士業、スポーツ、芸術など、各界のプロフェッショナル達が学びに来ていました。

 

私が知る限り、現存される最高の「自己変革理論&実践プログラム」の体現者と思われる高橋佳子先生のご著書

 

2015年10月に発足した第3次安倍晋三改造内閣の目玉プランとして「一億総活躍社会」が宣言されました。著書「1億総自己ベストの時代」はその2年前に発刊され、多くの政治家が超党派で高橋先生の講演、セミナーに参加され学習されました。その中での学びが、「すべての国民が活躍できる社会づくり」というプラン作りの参考にされたようです。

梶浦先生、柳瀬先生、高橋先生に代表される、宗教家の世界で連綿と受け継がれてきたかのように見える、自己変革という思考とその実践手法。これは、人類共通の「実践哲学」「真の意味での成功哲学」のcoreになる思考でもあると実感しています。そして、人はそれぞれ、他人には分からない、いきさつの中で生きています。幸せな人も、苦しみの中にいる人も、本当に様々です。そして、全ての人は、発展途上です。ゆえに壁にも突き当たります。
梶浦逸外先生、柳瀬有禅先生、高橋佳子先生のご著書から学んだことは「様々な課題を抱え壁に突き当たっている人はもちろん、どのような優れた成功者であっても、人はまだまだ未熟者であり、目標の途上である」。その状態から「自分がさらに変わることができれば、今は想像もできない未来が開かれる可能性を誰もが秘めている」「そして、人は変わることができる」ということです。

私の願いは、「変わりたい」と思う人々を支えたい。そして、まだ見ぬ「このために生まれてきた」「この人生でよかった」「この事業活動でよかった」という未来を一緒に開く同伴者・対話者になりたい。それが弊社のコンサルティングの切なる願いです。
弊社は、この「自己変革メソッド」を土台・根底に、人・組織・世界の困難を1ミリでも希望、願い、志の次元に運ぶために、願う未来を実現するために、ほんのわずかでも貢献出来たら幸せです。